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講義1.1 コンセプチュアル思考の系譜

◆時代はつねに新しい思考方法論を要請する 思考は人間の奥深い能力です。そして人間は思考について思考することをやめません。古くより「帰納法・演繹法」といった論理的な思考法が編み出され、さらにそこに科学哲学者チャールズ・パースは「アブダクション」という第三の方法を加えました。また、発明家エドワード・デボノは「垂直思考と水平思考」を唱え、その思考分類は世界に大きな影響を与えました。そのほかにも「右脳思考/左脳思考」、「ブレーンストーミング」「(川喜田二郎による)KJ法」「マインドマップ」など、思考を切り取る新しい概念や方法論、フレームワークは次々と生まれています。

そしてこれらのものをビジネス現場は積極的に取り込んできました。「ロジカル・シンキング(論理的思考)」や「クリティカル・シンキング(批判的思考)」は、学術的な世界の思考法をビジネスパーソン向けに展開したものです。複雑な事象を前に、データを分析し、仮説を立てて検証していく。そして論理を組み立てて、真理を追究し、客観的に説明をする。その思考は、まさにビジネス現場が求めているものと親和性がありました。

また昨今では「デザイン・シンキング」にも注目が集まっています。参入する企業がどこも経済的合理性を追求する商品開発を行うと、その結果は似たり寄ったりのスペック競争・価格競争に陥るという懸念があります。モノや体験に肥えた消費者はますます審美的な価値や社会善的な価値にお金を惜しまないようになっており、その欲求を満たす商品開発の手法として、デザイン思考からのアプローチがじわり効力を発揮しはじめたというわけです。万人を説き伏せる理詰めの発想ではなく、一人の生活者の美的感覚による発想が、そこかしこで成功を生んでいます。

◆サイエンスの思考・アートの思考・フィロソフィーの思考 私はさまざまな企業において、『プロフェッショナルシップ』(一個のプロフェッショナルとして醸成すべき基盤意識)の研修、自律的なキャリア開発の研修などを行ってきました。そこでは、「自律とは何か/自立とは何か」や「目的と目標はどう違うのか」、「現在の仕事に与える意味は何か」「成長を自分の言葉で定義せよ」「プロとしての自分の存在価値を一行で宣言しなさい」「理念・ビジョンを1枚の図で示せ」などのワークをやっています。

これらの問いは、物事から本質的なことを抽出したり、概念化したり、意味を与えたりすることを要求します。思考の中でも、意味や価値を扱い、主観的・意志的に答えをつくりだす作業となります。それは必ずしも論理分析から解が出てくるものではありません。

思考技術を高めるというと、何か論理的でキレのある解明力をつけるという印象が先行しています。が、それは一部のことでしかありません。論理的思考が生まれたサイエンス(科学)の世界は、物質的な現象を考える対象とし、客観的に万人を納得せしめる鋭さの思考技術を求めました。ところがビジネスやキャリア(仕事人生)には、サイエンスの部分だけでなく、むしろアート(技芸)やフィロソフィー(哲学)の部分が大きく存在します。アートやフィロソフィーにおいては、美的感覚や意味・価値といった次元での問いに答えを出していくことが求められます。

そこでは、新しい概念を起こして商品化したり、担当する事業に社会的な意味を与え、人びとを引き寄せたりする取り組みがあります。唯一無二の正解値はなく、曖昧なことを曖昧なまま、しかし本質を洞察しながら全体を把握するという思考が求められます。それは「鋭い思考・解を導き出す思考」に対して、「深く豊かな思考・意志を湧かせる思考」と言ってもいいかもしれません。

本サイト『コンセプチュアル思考の教室』は、そうした概念形成や物事への意味付与、価値創出にかかわる思考技術を扱うものです。世の中の有象無象の出来事から、本質的なものを引き抜き〈=抽象化〉、枠組みや構造を把握し〈=概念化〉、実践応用していく〈=具体化〉───そのような包括的に物事を自分のなかに取り込んでいく思考を「コンセプチュアル思考」と名づけ、技術的体系としてまとめていきます。

◆コンセプチュアルに考えることの重要性を訴えた先人たち 「コンセプチュアル思考」は、いまだ一般的に定義され、広まっている概念ではありませんが、先駆的に論を立てた人たちがいます。

経営の分野でコンセプチュアル能力の重要性を唱えた一人に、ロバート・L・カッツがいます。彼は、『ハーバード・ビジネス・レビュー』(1974年9月号)に寄稿した「Skills of an Effective Administrator」のなかで、管理者に求められるスキルとして、 「テクニカル・スキル」 (方法やプロセスを知り、道具を使いこなす技能) 「ヒューマン・スキル」 (人間を扱う技能) 「コンセプチュアル・スキル」 (事業を全体的に把握する技能) の3つをあげました。そして、管理者を下級・中級・上級の3階層に分け、上級管理者にいくほどコンセプチュアル・スキルの重要性が高まると指摘しました。

カッツは、コンセプチュアル・スキルがどういったものかについてはあまり細かく述べていません。おおむね、事業全体を俯瞰し各部門の関係性や構造を把握する力、ある施策がその後どのような影響を各所に与えるかを推測する力、共通の目的を描き関連部署の意識をそこに集中させる力といったような記述をしています。いずれにせよ、分析とは逆の、包括・綜合の思考であることを強調しています。 時代は下って2005年、ダニエル・ピンクは『ハイ・コンセプト』を著しました。副題は「情報化社会からコンセプチュアル社会へ」です。彼は〈はじめに〉の箇所で、

「これからは、創意や共感、そして総括的展望を持つことによって社会や経済が築かれる時代、すなわち“コンセプトの時代”になる」 「“ハイ・コンセプト”とは、パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力などだ」

と書いています。彼はコンセプチュアルに考えることを「新しい全体思考」とも呼んでいて、その重要性を訴えました。

また、日本でも人気のあるC・オットー・シャーマーの『U理論』は、まさにコンセプチュアル能力にかかわる論考といっていいでしょう。同理論が言うところのイノベーションプロセス、すなわち───

「ダウンローディング」   ↓ 「観る(シーイング)」   ↓ 「感じ取る(センシング)」   ↓ 「源(ソース)につながる」   ↓ 「プレゼンシング」   ↓ 「結晶化(クリスタライジング)」   ↓ 「プロトタイピング」

は、高度な認知活動の連鎖を示しています。このプロセスの中核を担う能力は、コンセプチュアルに考える力です。

また、米国はもちろん、日本などで広く読まれ、研修も盛んに行なわれているスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』も、コンセプチュアルに考えることが主軸の内容です。そこで提唱される「インサイドアウト」や「パラダイム転換」、「自己のリーダーシップ」「ミッション・ステートメント」「Win-Winの実行協定」などを理解し、実践するためには、コンセプチュアル能力が求められます。

さらには、暗黙知や形式知のダイナミズムを唱えた「SECIモデル」で知られる野中郁次郎一橋大学名誉教授らは、 「MBB」(Management By Belief:思いのマネジメント)を提唱しています。

論理的・合理的に導き出した数値目標を効率的に達成させようと管理する「MBO」(Management By Objectives)のみでは、さまざまな限界もみえてきている。そこに「思い」という主観的な要素がどうしても必要になってくるという主張です。

「これまで主観は、論理的分析優先の世の中で、経営の中でまともに扱われず背後に追いやられていた。しかし、WHATの位置づけを高め、考える現場を取り戻すためには、この主観をきちんと経営の中に位置づけることが必要だ。このような主観と客観、右脳と左脳、アートとサイエンス、WHATとHOW、思いと数値目標、このバランスを回復しなくてはならない」 ───(一條和生・徳岡晃一郎・野中郁次郎『MBB:「思い」のマネジメント』より)

主観的な思いというのは、信念と置き換えてもいいでしょう。「講義1.6:概念・観念・信念・理念」で説明したように、信念は概念と地続きであり、広い意味でコンセプトに含まれます。そうした意味で、「MBB」の実践もまたコンセプチュアル能力を基盤とするものです。 このように、私たちは「コンセプチュアル思考」という概念を設ける設けないにかかわらず、コンセプチュアルに考えることの重要性を説き、実践してきました。

コンセプチュアル思考は、抽象と具体、概念・信念、気づきや悟り、曖昧な問いのなかでの本質のつかみ、包括知・全体知といった種類の思考であり、認知科学や哲学、心理学、複雑系、宗教の分野にまたがる広がりをもっています。境界がなく横断的であるという点では、コンセプチュアル思考は東洋的なものの考え方に近いといえます。日本人は、むしろこの思考力を手なずけることで、みずからの事業を独自のものにしたり、キャリアを力強いものにしたりすることに役立てていけるのではないでしょうか。

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